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» こどもの日 date : 2007/05/05
今日は子供の日ですね。

そういえば、ここ数年「子ども」という表記が増えてきました。
「供」は蔑称であるから使うべきでないという説です。

しかし、それを主張するなら「供」はただ複数形を表す「とも」に当てられた漢字であるだけなので、「とも」という言葉自体を使わないようにするべきなのではないでしょうか?
すなわち「子」だけとか「子達」にするとか。

元来、ただの「子」の複数形であった「子供」
それを的確に表現できる「子供」という漢字を得て長い年月をかけて意味を為す一つの単語となった「こども」。
それを誤った解釈を使った一部の為に失っていくのは忍びません。

日本語は表意文字である漢字と、それを補う表音文字の仮名を併せてやっと表現できる繊細な言葉です。
同音異義語も多いです。
仮名は日本が誇る文字ではありますが、仮名だけしか日本語になければ(仮名は漢字から生まれたので、漢字がなければ仮名自体がないのですが)、こんにちのような発展は望めたでしょうか?

文字とは人間社会にとって大切なものです。
目の前にいる人と意思の疎通をするには話言葉で十分ですが、多くの人間に同じ意思を伝えるには、その意思を表現する文字を沢山持たなければなりません。
一人の人間が発した「椅子」という単語でさえ、パイプ椅子なのか、ソファなのか、座椅子なのかをそれ自身では的確に表すことはできないのです。
言葉は、≒である意味を持つ違う表現を複数もたなければなりません。
また、その”同義異音語”を複数もつことによっても言葉はさらに発展し、その言葉を使うことによって人はますます繊細になれるのです。

その意味では「子供」を表し、かつ「権利団体」であることを表す「子ども」という表記を得たことは発展であると言っていいかもしれません。
しかし、その根幹である「子供」という表記はなくすべきではないのです。
「子ども」が権利団体であることを欲せず、ただ「子供」の意味を表すだけであるならそれは大仰に主張すべきものではないのです。


つまり、何が言いたいかというと、せっかく土曜を挟んだ連休なのに、土曜日に祝日だと歯医者に行けないじゃないかヽ(`Д´)ノ
ということです。
(普段の土曜日は前日が金曜日なので午前中は酒臭いことが多いのです)
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  posted at 2007/05/05 8:14:47
lastupdate at 2007/05/05 8:15:52
»category : ねっと修正

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